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城端仏壇の伝統を守る 最住仏壇店(南砺) [仏壇店だより]

 富山県砺波地方は屋敷林を持つ農家が一帯に広がる地域で、点在する屋敷林を遠望する時、日本の農村の美しさをしみじみと感じさせてくれる。屋敷林は防風林として屋敷を守るだけではなく、真宗の信仰も守り育ててきた。民俗学的には、寺になる前の建築構造、つまり道場を持つ地域でもある。
 この信仰深き地で生まれたのが城端(じょうはな)仏壇。この地域特有のスタイルを持つ仏壇であり、最住仏壇店はその城端仏壇を手がける代表的な仏壇店だ。
 最住仏壇店の創業は明治初期。漆器などを扱う店としての歴史はさらに古いというが、仏壇がメインとなったのは明治初期の最住鉛太郎氏の代からで、二代目勝太郎氏、三代目で現当主の敬明氏、そして四代目の泰和氏へと引き継がれてきた。
「一昔前は仲人(ちゅうにん)さんが仏壇販売の仲立ちをしてくれたものです」と泰和氏は語る。
 泰和氏は昭和三十八年生まれで、金沢の大学を卒業した後、コンピューター関連の会社に就職し、三十歳の時に仏壇店である実家に戻ってきた。
「仲人さんは仏壇を欲しがっている家があれば、その家と仏壇店との間に入り、お世話をしてくれる文字通り『仲人』という役割を担ってくれた人のことです」
 いかにも講組織に支えられた、真宗の信仰を発達させてきた地方らしい話である。残念なことに、仲人さんという機能は、今ではほとんど消滅している。と同時に蓮如以降築かれてきた講という信仰基盤も次第に陰を薄くしている。それでもなお、若い人が中心となった真宗の集まりがあるという。
 さて、城端仏壇とはどのような仏壇のことを言うのだろうか。
 まず、仏壇内部、下段などの天板部分などが朱に塗られているのが大きな特徴となっている。仏壇内に置かれる小卓類の天板もまた朱に塗られる。そうしたこともあり、「朱」ということが、城端仏壇を引き立てる色彩になっている。
 また、木地の構造は金沢仏壇と同様である。ただし、木地そのものは同じ南砺市内の彫刻の里・井波町で作られてきたものだ。
 最住仏壇店に展示されている城端仏壇の外見上の特徴のひとつは雨戸の留め金具にある。鳳凰の形そのものであったり、獅子の形そのものであったりするが、泰和氏によれば「留め金具の装飾は、昔からの全ての城端仏壇に共通のものではなく、もっとシンプルな閂(かんぬき)を使っているものもある」とのこと。

 前述した通り、城端仏壇は金沢仏壇と同様の木地構造を持つが、それは城端が金沢と同じ加賀藩という文化圏に属していたことによる。最住仏壇店のそばにある城端別院善徳寺も加賀藩との結び付きが強く、加賀文化の影響を強く受けて城端仏壇は生まれたと言ってよい。
 そして北陸の仏壇らしく基本的に奥や脇の金箔は鏡面の艶出し仕上げで、朱がこの鏡面に映り込み、信仰の美の世界を作り出している。
 店舗は五年前に建てられたもの。町並みは伝統を感じさせるように設計されており、最住仏壇店も落ちついた佇まいを見せている。
◎最住仏壇店 南砺市城端二四〇 TEL〇七六三(六二)〇三〇九 FAX〇七六三(六二)三九五九

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最寄りの仏壇仏具店へお問い合わせ下さい
宗教工芸新聞2006年7月号掲載

小社HP「仏壇店に行ってみよう」
http://www.butsudan.kogeisha.com
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