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「霊魂と旅のフォークロア」 宮田登 [おすすめの1冊]

 民俗学という立場は、業界では忘れられがちであり、否定されがちだ。某社が自社製品の宣伝にあたって「仏壇は元々魂棚であった」ということを、繰り返し、それも強烈に主張するので、一部の業界人の民俗学アレルギーは相当なものではないだろうか。それでも民俗学は仏壇理解には欠かせないし、お客様に説明する仏壇ということを考えれば民俗学の知識は不可欠なものだ。

 今回紹介する『霊魂と旅のフォークロア』の著者である宮田登は、戦後の日本民俗学をリードしてきた一人であり(惜しく平成十二年に六十歳で逝去)、都市民俗学の提唱者でもあった。

 死は不浄である、と宮田登は繰り返し述べる。現代は葬儀が横文字のメモリアル化することで不浄感は全く薄れているが、その不浄感とは死体の腐敗と共に死霊への恐怖感と裏腹のものであった。葬送儀礼の大切な要素は死霊をどのように鎮めるのかという点にあった。

 例えば末期の水を宮田は「水分によって霊魂を鎮静化させる目的があった」と指摘する(七十頁)。遺体に別の霊魂が乗り移らないように枕元や胸の上に刃物が置かれる(七十頁)。さらに興味深いのは枕飯、団子、線香などのお供えも邪悪なものを接近させない意図があったとしていることだ(七十頁)。

 そして仏教との関連について次のように説明する。

「一般にホトケになるという段階は、仏教が介入したときからであり、枕経によって死者がホトケにになるというところからみると、枕経までは、まだ死者としての扱いをうけられていなかったことを示している。逆に枕経が済むまでは死者として扱わない。人はまだ死んでいないとする意識もあった。納棺のときに唱えられる念仏により死者がホトケになると信じられていた」(七十頁)。

「霊魂は、肉体を離脱した後も四十九日くらいまでは、住んでいた家より軒下より外には出ていくことはなく(後略)」(百十六頁)、「民俗学では、日本仏教の原型をタマシズメ(鎮魂)に求めている。つまり日本仏教は、霊魂が静かにあの世に移動する時ときに、これを守っていく、ある意味で呪術的な機能をはたしていると考えられているのである」(百二十三頁)。

 様々な示唆を与えてくれる一冊である。
◎ 吉川弘文館 二千六百円(税別)

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